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雑な読書(ザツドク)

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『グレン・グールド 複数の肖像』の感想・書評

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基本情報

書名:グレン・グールド 複数の肖像
編者:ギレーヌ・ゲルタン
訳者:浅井香織、宮澤淳一
出版社:立風書房
ジャンル:音楽、伝記、ルポ
刊行年:1991
ページ数:350
本体価格:2900円
 

評価

かなり面白い(★★★★)
 

感想・書評

魅力的なグレン・グールド

カナダの天才ピアニスト、グレン・グールド(1932-1982)は、独特な演奏スタイルや思考、ラジオドキュメンタリー制作など、さまざまな点において注目を集めた。彼を論じる書籍は、ほかのピアニストと比べて圧倒的な数が出版されている。確かに、ピアニスト(クラシック演奏家)としてはかなり特異であるし、型破りなロックミュージシャンのような印象もある。ロックなら多少変わっていても目立たないが、バッハやベートーベンをまったく新しい解釈で弾き、弾き方に賛否両論はあるにしても、技術的に非の打ちどころのない天才であるというのは、人を引きつけるのに十分だろう。
 
彼の変わったところを少し紹介すると、足の非常に短い椅子に座り、背を丸めて鍵盤にかなり顔を近づけてピアノを弾いた。異常な寒がりで、夏でもマフラーと手袋をしていた。楽曲の装飾を嫌い、楽譜の装飾記号を無視し、ペダルもほとんど踏まなかった。コンサートの一義性に疑問を抱き、32歳でライブ演奏から引退する。いずれも有名な話だが、ピアニストを目指す子供にはあまりお手本にしてほしくないタイプだ。
 

論文集という試み

先に述べた通り、グレン・グールドに関する書籍は多数ある。ローリング・ストーン誌のロングインタビューをまとめた『グレン・グールドは語る』は、演奏法、録音法、有名な事件の真相、果てはビートルズまで語っていて、人となりが伝わってくる。また、『グレン・グールド著作集』『グレン・グールド書簡集』などもまとめられていて、ミステリアスなグールドを理解しようとする人が多いことを示している。
 
さて、本書もそのような、グレン・グールドを理解するために彼の音楽やその他の活動を分析したものである。この本のなにより面白い点は、論文集であるところだ。書名に「複数の肖像」とあるように、ピアニストとしてのグールドはもちろん、オルガニスト、作曲家、哲学者、作家、ラジオ番組制作者としての活動や思想を、別々の人間が研究し、論文にしている。多面的な分析をすることで、内面を深く探ろうという試みである。
 

グールドにも負けない独創的な論文

全部で11の論文があるが、特に「グレン・グールド 逆説的オルガニスト」(ジョルジュ・ギヤール著)、「グールドの身振り」(フランソワ・ドゥラランド著)、「唯一のグールド」(ジャン・ジャック・ナティエ著)の3つが興味深い。
 
グレン・グールド 逆説的オルガニスト」は、グールドが弾いたバッハの「フーガの技法」を分析したものだ。この録音はかなり特殊な解釈によって弾かれていて、楽曲のよさもオルガンのよさも殺そうとしているような演奏である。つまりそれが逆説的だということなのだが、これに限らず、グールドを逆説的と評する論調は少なくない。フーガの技法では、かなり実験的な試みをしているにもかかわらず(オルガンを弾くこと自体も実験だろう)、あまりまとまった議論がないようなので、そういう意味でも興味を引く論文である。
 
「グールドの身振り」は、演奏中のグールドの身振りが何を示しているのか考察するもの。ピアノを弾きながら空いた左手で指揮をするクセがあり、オーケストラを混乱させたという話も有名である。実際に弾いていた曲の楽譜に、「体の揺れ」や「眉の動き」を書き込んで分析しており、ちょっと笑ってしまうが素直に面白い試みだと思う。
 
「唯一のグールド」は、「グールドの思考における構造と非時間性」という副題がついている。上記に挙げたようなさまざまな側面を持っているので、思考の構造はやはり気になる。また、グールドは演奏中の時間感覚が特殊だといわれることがあるが、それを思考についても分析するという目の付け所も素晴らしいと思う。なによりも、この論文はアプローチがよい。グールドの発言、文章、書簡などをつなぎあわせて、一つの方向性を向かせようとしている。
グールドがミステリアスなのは、一見矛盾するような発言が多いのも要因だと思っていた(煙に巻くような物言いも多いので、さらに混乱を招く)。乱暴かもしれないが、それをある解釈をもとに都合よく並べてみると、唯一のグールドが現れる気はする。しかし、この論文でもグールドの形が見えたとは言い難い。著者も書いているが、一人の人間の真実というものが存在するのか、そもそも疑問ではある。逆に言えば、その道の大家といわれる人にありがちな、絶対的な信念にとらわれず、流動性のあるところが彼の魅力といえないだろうか。
 
いずれも、論文といっても堅苦しい文体ではない。各テーマも、新しい切り口を探そうという意図が見え、本書の目的の達成にかなり近づいていると思う。編者が優れているのだろう。ある程度グールドのことを知っている人は楽しめるはずだ。